2015年3月3日火曜日

Break The Wall!

 今週末はいよいよBreak The Wall vol.2 in 夜想。Balladmenとして京都で演奏するのは実に久しぶりのことである。もう2年も前から「ボロキチ関西へ呼びます」と吹いてきたもんだから、念願叶って後ろ髪ひかれる思いも解消されるというものである。僕が呼んだ訳じゃありませんけど。

 2013の夏、ボロキチEPレコ発(in 下北沢シェルター深夜の部)でのボロキチは今も記憶に焼き付いて離れないほど衝撃的なものであった。体を揺らすのも忘れ、見惚れました。感動のひとこと。そんな彼らに敬意を表して「とにかくホンモノ見てください」としか言えませぬ。
 Back To Basicsとの共演は4、5年振り。Balladmen京都企画の第1回目に出演して頂いた以来である。初めて観たのは自分の地元三重は四日市のSubway BarでのAntonio Three企画でした。その普遍的パンク・ロックの熱いサウンドに打ちのめされ、即レコードを購入。自宅で拳を振り上げました。きっと、これからもずっとカッコいいままなのです。
 そしてBLPRS、聴けば聴くほど牧歌的で暖かいサウンドに聞こえてきたのは僕だけか。それはひとえにヴォーカルの声色、そしてメロディーによるものではなかろうか、と思う。よく練られた楽曲も聞き応え充分、リズムも踊れて楽しいが、「やっぱロックは歌ですね」と納得の歌唱力。今年初ライブということで期待に胸高鳴りますね。

 今回は何故か全参加バンドの頭文字が「B」という謎の試み。狙いなのか偶然なのか、個人的には参加者全員の血液型がBなら面白いね、とか思ったり(ないない)。しかしながらこの偶然が産んだ絶妙な組み合わせ、何が起こるか楽しみです。なんてったてイベントのタイトルは"Break The Wall"、壁をぶっ壊せ!ですから。何はともあれ、週末が待ち遠しい。さて、弦でも張り替えるか!


"Break The Wall"vol2 @京都夜想 2015.03.07
出演/ Back To Basics, Balladmen, BLPRS, Bo!Rock→1





2015年3月1日日曜日

I Will Dare

 前のバンドを始めた頃だったから、もう14年程も前になるのだろうか。どおりで歳をとる訳である。

 僕が初めてThe Replacements(以下Mats)の曲を聴いたのは、Snuffy SmileのコンピCD”I Hope The End Is Always The Beginning”に収録されたBaggageによるカヴァー、”Can't Hardly Wait”であった。「Chelseaやthe Rutsみたいな渋味のあるイギリスのバンドみたいだ!」というのが初めて聴いたときの印象。「原曲が聴きたい」と直ぐさま鈴鹿のタワレコ(片道1.5h)へと車を走らた。”それ”が収録されたアルバムは店頭には無く、代わりに"Let It Be"なるアルバムを購入。ジャケットに惹かれたのである。あの写真、あの色使い、「これは間違いなくストリートでシンガロングだぜ(意味不明)」と確信した。高鳴る胸を抑え、車に戻った俺は毟り取るように包みを引きちぎり、エンジンをスタート、ディスクをカーステレオにぶち込んだ。拳を振り上げる準備はできている。さあ、こい!...
足下のスピーカーが、12弦ギターの軽快なストロークを歌い始めた。トボけたリズムに人を食ったようなギターリフが続く。すでに酩酊したシンガーがわめいている。しまいにマンドリンまで飛び出してしまった。握りしめた俺の拳は虚しく空を切った...。
2曲目、3曲目、少し聴いては次々と早送りしていくが、ChelseaやRutsのような曲は見付からない。それどころかハードコア・ナンバーあり、ピアノ・バラードありで掴みどころがない。「ハズレ」のワン・フレーズが脳裏をかすめた。諦めたくない。しかし、期待したサウンドでないことだけは確かであった...。

 これがMatsと僕との出会いであった。今では最も憧れているバンドの一つなのだから、分からないものである。
今よりもっと若くて、お金がなく、レコードもたくさん買えなかった頃には、一枚一枚、一曲一曲大切に聴いたものだった。一度聴いてだめでも、諦めず良いと思えるまで聴いたものだった。限られたお金で月に数枚を買い、急いで帰ってライナーノーツを読みながら、メンバーの写真を眺め、一曲ずつ丁寧に聴く。これが何よりの楽しみだった。
Matsの魅力を言葉で表すのは難しい。大ヒットを飛ばすような曲もなければ、目が覚めるようなハンサムもいない。単に曲が良い、ってのもちょっと違う気がする。とにかく好きとしか言いようがない。ただMatsの曲には何度も繰り返し聴かなければ聞こえてこない”音”が隠れている。気がする。その”音”が僕の心を掴んで離さないのだ。おそらく。
 現代は合理性の時代である。ネットで情報を収集、そして確認後、間違いのないものだけをカートに入れるのが主流。ハズレを引いてもまた別のボタンをクリックするだけである。御多分に漏れずこの僕もその恩恵を受けている。しかしながら、Matsの"Let It Be"はいつも僕を「そういうことじゃないんだよなぁ」なんて気分にさせるのである。



 
 



2015年2月25日水曜日

Quick Silver!

 歳をとるごとに好きな音楽が増えてきた。昔は聴いても退屈だった音楽が、ある日突然「あれ?待てよ」と、急に面白くなる。お陰でレコードは増えるばかり。「こんなにあっても聴かないだろうな」と、正直思う。もともと物には執着しない性分でもある。引っ越しで大量処分したこともある。しかし、レコードはそれを聴いていた当時を思い出させてくれるアイテムでもある。少し前に友達が遊びに来たとはには久々にNewtown Neuroticsを聴いた。相変わらず最高だった。だけどやっぱり、ちょっぴりほろ苦くなっていた。

最近では3年くらい前からマジになってJazzを聴くようになった。購入するレコードも8割はJazzである。それまでもBilly HolidayとかChet BakerなどのJazz Vocalは好んで聴いていた。ロックに食傷したときの箸休めとしてBill Evansのピアノ・トリオ物なども手元にあった。
きっかけはArt Blakeyの"Night At Bird Land Vol.1"というLPであった。友人が「Jazz版のロコ・ライヴ(Ramones)だね」と形容するのも頷ける白熱のライヴ・アルバムである。昼下がりのティータイムにカフェで聴くための洒落たアレとはかけ離れている。スリリングでエキサイティングで汗臭い。そのエネルギッシュな演奏はR&RやPunkを基準に音楽を聴いている僕を充分に惹きつけたのだ。
特にコンボの音楽的リーダーとされるHorace Silverの書いた”Quick Silver”は繰り返し何度も聴いた。スウィングする4ビートの虜になった。それは僕にとって"これぞ、ハード・バップ"な一曲となり、Jazzへの重い扉をこじ開けた記念すべき一曲となった。
そしてこの曲もまた、いつか何かを思い出させる一曲になるんだろうなと思う。

変わらずファンキーなハード・バップは大好きである。しかし、今ではしっとりとしたピアノ・トリオも、混沌としたフリー・ジャズも聴くようになった。今のところ最も夢中になったプレイヤーはJohn Coltraneだったり、Bill Evansだったりする。つまり、Art Blakeyが開いてくれた扉の向こう側で、たくさんの音楽に出会うことが出来たというわけだ。
音楽を聴くことの醍醐味、ここに見付けたり!といった気分である。これからも素晴らしい出会いが待ち受けているに決まっているのである。これだから、止められないのである。

Enjoy Yourself

3月29日日曜は東京、鶯谷のWhat's Upにて、自主企画”Let's Get Lost”の3回目を予定してます。出演はBlockbusters、Gleam Garden、Winstonsに僕たちBalladmen。
今回もなかなかバラけた、しかし共通点はあるだろう(と踏んだ)キャスティングに拘ってみました。


自主企画のライヴって最高。自分らの好きな店で、好きなバンドだけを集める。客が入ろうが入るまいが自分らの責任。だから思いっきり好きなようにやる。続けるためにはある程度の動員は必要だけど、でも特別重要なことではないと思う。

最近ライヴに行ってよく思うのは、どんなジャンルのバンドでも、例えば自分が普段レコードでは聴かないような音楽でも「マジでやってます」ってことが伝わればガツンと来るんですね、ということ。何よりまず、自分自身が楽しむことが大切で、それって伝わるんだなあと、今更ながら納得している今日この頃でした。

あとひと月!

2015年2月15日日曜日

Home In My Hand

好きな曲をカヴァーするのは楽しい。じつに楽しい。
好きな曲を自分たちのアレンジで演奏し、歌う。
「こういうリズムはどうだ」とか「ここにギターソロを入れてやろう」とか、メンバーとワイワイやりながら既存の曲をいじっていく。ミュージシャンぽいね、と悦に入る。ステージでの得意げな顔。「レパートリー」とか言っちゃって。やめられない。
個人的には自作:カヴァーは8:2が好ましい。自炊と外食の対比率。基本的には自分で書いてるから、たまには人の歌も歌いたくなる。たまにやるから美味しい。こだわっちゃう。

 今回はBalladmenがレパートリーにしている"Home In My Hand"という曲を紹介します。
元々は1950年代の後半~に活躍したRonnie selfという名のロカビリー歌手が書いた曲。僕が最初に知ったのはイギリスのBrinsley Schwarzのカヴァーヴァージョンで、"Nervous On The Road"というアルバムに収録されている。
「家は自分の手の中さ」と言い、旅する旅人の歌で、歌詞がとても良い。それはまさに歌う人間の人生そのものを表現しているようでもあり、歌い手によってずいぶん違った印象を与えるのではないかと思う。なので、やはり、オリジナルのRonnie Selfの淡々としたダルな歌唱が、色々想像しちゃって好き。でもBrinsley Schwarzの、ギタリストの血が騒ぐオーバードライヴの効いたリフで幕を開ける怒涛のラケンローヴァージョンも悪くないよね。ロック最高!ってなっちゃう。
Dave Edmundsなんかもカヴァーしていて、もはやパブロックの定番らしい。
とにかく、カヴァーって楽しい。「次はどの曲やろうかな」なんて考えるだけで、眠れなくなっちゃうくらい。

"Home In My Hand" Balladmen

"Home In My Hand" Ronnie Self



2015年2月11日水曜日

Let's Get Lost!

  新しいメンバーが加入し、1年かかったが、ようやく昨年の12月に活動を再開することができた。ずいぶん長い間ほったらかしにしていたこのブログも再開することにした。自分たちのライヴイベントも、東京を中心に、なるべくコンスタントに企画していくつもりである。イベントのタイトルは"Let's Get Lost"に改めた。Chet Bakerの名唱で知られるJazzのスタンダードナンバーである。「消えていなくなろうよ。みんなのリストから僕らの名前を消してしまうんだ」と、朗らかに歌われるその歌詞は、恋に落ち、二人の世界に没頭する恋人たちの心情を歌ったものである。新しいタイトルを考えていたとき、ふとこの歌詞とタイトルが頭に浮び即決した。この歌詞のようにロマンチックな意味ではないが、自分のイベントのタイトルとしてはおあつらえ向きじゃないか、と思ったのだ。
一応、「自分らのルールで自分らがやりたいことだけをやっていく」という前向きな気持ちを込めているつもりである。他人がこさえたルールや「こうあるべき」的な押し付けのリストから、僕らの名前を消してしまうんだ!という意味なのである。

そして次回はこちら↓ よろしく!

"Let's Get Lost!" #3

03/29 (日) @鶯谷What's Up ¥1500
with/Blockbusters, Gleam Garden, Winstons










2013年4月16日火曜日

Hong Kong Blues

 僕は八重桜が好きではない。くしゃっと丸めた使用済みのちり紙のような花房と、あの主張の強い葉と花のバランスが鼻持ちならない。花だけが密生して辺りを薄桃色に彩るソメイヨシノに遅れてシーズン・インするだけに、何かいやらしいものを見せ付けられた気にすらなる。しかしこの季節、足元に視線を落とせば黄や紫のパンジーやタンポポ、緑鮮やかな葉と茎の先には赤いチューリップ、4月21日の松屋町地下一階にThe Great Tumblingdown#20、そしてその直後には情熱の真っ赤な薔薇が息を潜めているのである(ブルーハーツのファンではありません)。いやはや、気候がいくら不安定とはいえ、時が来れば春はおとずれ、大地を彩っていくのだなぁ、などと年寄りめいた思いにふける俺はまだ三十三。そして今宵も闇深き神楽岡は眺めの宮殿から、世界中に独り言を送る。返事はいらない、死ぬまで生きるだけさ(意味不明)。

 「どんなに美しい花でもな、足元には泥にまみれた醜い根っこが埋まっているもんだぜ…」

 ハンフリー・ボガートとローレン・バコール初共演、ハワード・ホークス監督の「脱出(原題:To Have and Have Not)」に登場するシンガー/ピアニストと、その彼の歌う歌が何なのか気になっていた。モーズ・アリスンやチェット・ベイカー、ジョージィ・フェイムを思わせるさり気なくも気だるい歌唱法と、ビートルズの末期にポール・マッカートニーが午後のティータイム、バルコニーのロッキング・チェアに身を揺らし、鼻歌交じりにすらすらっと書き上げてしまったかのようなメローディー・ラインに魅了された。始めてこの映画を観てから10年は程経過しているであろう。その間に少なくとも三回は観ているはずである。現代は猫も杓子もインターネットの情報社会、知ろうと思えばいつでも調べられたはず。それなのについ先週まで彼の名が「ホーギー・カーマイケル」ということも、いつまでも耳について離れない、あの奇妙な魅力を持った歌の名が「ホンコン・ブルース」ということも知らなかったのである。それを知るきっかけは些細な日常の会話であった。
K宅で少し塩の効きすぎた水菜とレンコンとオイルサーデンのパスタを何とか完食し、くつろぎのひと時にコーヒーカップを傾けていると、「これご存知かしら?あなた好きそうよ」とKが差し出したのがそのホーギー・カーマイケルのレコードであった。「ほう、試しにかけてくれたまえ」と僕がいうと、Kはスリーブからレコードを慎重に抜き出しターンテーブルに乗せた。スイッチを入れるとLPは33rpmの速さで回転を始める。そして針を落とすとスピーカーが「ホンコン・ブルース」を歌いだしたのだ。僕はすぐさま聞き覚えのあるそのメロディーに反応し、記憶の糸をたぐるが思い出せない。最後に「脱出」を観てから決して短くはない時が流れたのであろう。何しろ気になっていたことさえ忘れてしまっていたのだ。喉の奥にわだかまりを含んだまま、僕はおもむろにライナー・ノーツを取り出した。するとそこには前述の事実が書き込まれている。”ホンコン・ブルースはハンフリー・ボガートとローレン・バコール初共演、ハワード・ホークス監督の「脱出(原題:To Have and Have Not)」の劇中で、ホーギー・カーマイケルが自ら出演し演奏している曲のひとつである”。無論、狂喜乱舞である。幼い頃に転校してしまい、顔や名前はおろか本当に存在していたのかすら不確かなクラスメイトが、突然家を訪ねてきたかのような衝撃である。十年前にもらい損ねたバースデイ・プレゼントがタイムマシンに乗ってやってきたのだ。
しばしオロコビ(驚きと喜び)を噛み締めた後、「もし、インターネットで検索にかけていたら、これほどの”オロコビ”に巡り合うことはなかったのではなかろうか」との考えにぶち当たる。最初に「脱出」を観て受けたインパクトから、K宅での再会にいたるまで、「ホンコン・ブルース」と僕はお互いに最短距離を迂回してきたのだ。その道のりで身に付けた様々な要素が相まって、前述のような衝撃の再会が生まれたのである。その要素とは「すぐに調べなかった」ことや「気になっていたことすら忘れていた」こと、「塩の効きすぎたパスタ」や「食後のコーヒー」なども含まれるはずである。
もし検索していたとしても、僕はきっとそのレコードを捜し求め、お気に入りの一枚に加えていただろうし、それはそれで楽しい時間を過ごせたに違いない。しかし今回のようなスペシャルな体験はできなかったであろう。
合理性や利便性は確かに「使える」。しかし人や物との出会いとは、この出来事のようにちょっぴりロマンチックであって欲しいものだなぁ、と再確認するのであった。

あと四日!